1969年香川県丸亀市に生まれました。2024年6月で55歳です。

小学生時代は地元に少年野球が無く、学校から帰ると近所の子供たちみんなと、お寺や田んぼ農協の敷地などで軟式のテニスボールを使った野球をしたり、缶蹴りやケイドロ(刑事と泥棒という遊び)をしたり、暗くなるまで外で遊ぶような子供でした。

中学から野球部に入り、4番レフトで3年生の途中からキャプテン。高校は勉強ではなく、野球優先で地元の強豪校「坂出商業野球部」へ進みましたが、同学年に尽誠学園の伊良部投手がいたことなどで、甲子園出場はおろかレギュラーにもなれず、膨大な時間をかけた努力が結果に結びつくことはありませんでした。

今思えば、当時は伝統的に強要されていたダウンスイングでゴロを打つというのが4スタンス理論でいうところのA2(つま先外側重心)タイプの私には全く合わず。コツコツ努力することは嫌いでない性分ですから、全体練習以外にも、1日500スイング600スイングと努力を惜しみませんでしたが想いとは逆の効果を生み、現役生活が終わりました。

その悔しさがあるので、指導者の方には最新の理論もきちんと取り入れられるよう、(特に現役時代に名選手であった指導者ほどおごらずに)勉強をして欲しいと思っています。

また、ケガや故障も強化合宿中の足首の骨折以外は大した事故なく過ごせました。

今こうやって治療側に立ってみると、やはり現代の子供は生活態度・座ったり、自宅で寝転んでリラックスしている姿勢などが「日常的に悪い」ので、それが原因で故障を作っていることも分かります。

かなりの確率で「生活の姿勢」つまり生活の悪習慣で悪くしておいて、そのカラダの関節を投球動作など、各スポーツの動きによって、繰り返し使用することで悪化させて、故障しているように感じます。

大人の腰痛や坐骨神経痛なども同じことがいえると思います。ケガや事故以外の場合は、若い頃からの悪姿勢や歳を取ってからの悪姿勢や筋力低下などで発症するものがほとんどなのです。

その後、両親の奨めで文系の大学進学はしましたが、野球はせず卒業後は医薬品販売の商社へ。その直後、23歳のとき父親を病気で亡くし、「俺が家や家族を守る」と内なる決意をしたように思います。

その頃は、朝7時に家を出て、夜10~11時に帰宅するような、(無思考で働くロボットのような)モーレツ社員を12年半続け、心身ともに健康を失っていきました。

そんな中、よく頼っていたのが、カイロプラクティックや整体でしたが、ボキボキやってもらわないと、背中が気持ち悪いせいで、イライラしたり不安になったりする「カイロ病」のような状態になってしまっていました。

思い出すと「体調不良からのうつ」のような時期がずっと続いていたので、最終的には、いまの病院や整体がよくいう「自律神経失調症」の重篤な患者のようになっていたのです。

気付けば、月に1回程度だったカイロ通いが半月に1回、週に1回、最後には週に2回とドンドン体調を崩していったのが恐怖でしかありませんでした。

「このままボキボキする整体を一生受け続けなければいけないのか?そんなにボロのカラダにしてしまったのはなぜ?」ある夜、風呂に入りながら、そう思った僕は、「整体やカイロに100%依存」することが間違っていた事に気付いたのです。

そこから、ボキボキ=気持ちいいし効く!という考えを捨て、ボキボキしないカイロや整体を探し「アクティベータメソッド」という治療法があることを知ったのです。

これほどの体調不良がこれだけ楽になる!その治療法をやっている先生はわずかしかいないし、完治させる気でやっている先生もみんなが考えているほど居ない。絶対に整体通いから脱出させてあげる!!なんて本気で整体している先生なんて、本当に、何軒も整体カイロをハシゴしてきたけど、やっぱそう感じる気迫のある先生なんて居ない!

「それなら俺がやる!」と、35歳で脱サラし、脱サラした日に同時に入籍し結婚。3人の息子に恵まれました。そのころ母もメニエール病で苦しんでいたので、それを救いたかったことも一因ですが、アクティベータメソッドを習得したいという一心で、3年間という時間と400万円というお金がかかるのを覚悟しながら、36歳の年に四国医療専門学校の柔道整復師科へ入学しました。

四国医療専門学校の2年の秋頃から既に整体院をOPENしながらの勉強でした。3年間は本当に長く、妻や家族には迷惑をかけながら、でも一度も赤点を取ることも無く、卒業試験にもパスし、3年後に国家試験に合格し、柔整師になり「整骨院」としました。

しかし、我々が専門学校の7期生だった事もあり、卒業する頃にはどこも接骨院だらけで、患者の取り合いになっていました。1期生、2期生くらいまでは、数院のチェーン化に成功した人や自院を自前で建てている人など、「十分な収入がある」という世代で、3期4期となるに従って、そういったチェーン院で働いたり、他業種に職業替えする人が増えていきました。

保険診療だけだと収入が少なく生活できない。「何かで違法請求をしないと、次々くる患者さんを治していたら、経費的にみても絶対に経営できない」ということで、5年後には自由診療に戻すことを決意。

丸亀市で7年半営業しているうちに、時代が変わってしまい、スマホの広告を使った誘導(マーケティング)で新規客を独占する連中に市場を取られていることに気付きましたが、どうせ頑張るなら高松で!ということで、高松市へ移転することにしました。

それは、丸亀市で営業していて、「高松のひとに奨めたけど、遠いって」という言葉を何度も聞かされて、悔しい思いをした経験があったのが大きかったと思います。

その移転の際に5千円だった料金を1万円から1万5千円に値上げさせて頂き、なお一層「治すことだけに専念」させてもらえたので、益々「治すこと」を追求できるようになりました。

今では、「たぶん治せないもの(関節)はないのでは?」と思えるようなレベルになってきました。

もちろん、1回2万円3万円5万円の価値があると思うものを、お安く提供するという意味で、半額やそれ以下の1万円や1万5千円にしていますので、「周りが値上げしているから」という甘っちょろい考えではありません。

とにかく、熱意(パッション)と技術、そして安全性では負けることがあってはならない!と思って、日々努力し「小さな軽い症状でも、どんなに難しい症状でも、ちゃんと考えて結果を出す施術」を目指しています。

皆様の温かい声援や叱咤激励・ご指導があればこそ。これからも、よろしくお願いします。

 

整体院ほほえみ

院長 西本数孝